宇宙史研究センター素粒子構造研究部門の研究者の参加する国際共同実験グループ CDF Collaboration が,
基本粒子のひとつであるWボソンの質量をこれまでの最高精度で測定することに成功しました。
CDF 実験は,米国フェルミ国立加速器研究所のテバトロン加速器を用いた陽子・反陽子衝突実験で, 1985年の初衝突の観測以来,2011年まで実験を行いました。
Wボソンは,
素粒子のうち,力を伝える粒子に分類されるもの(ゲージ・ボソン)の一つです。
Wボソンは,Zボソンとともに弱い相互作用を伝えます。
力を伝える粒子には,他に,光子(電磁相互作用),グルオン(強い相互作用)があります。
素粒子には,他に,物質を構成する粒子(物質粒子)であるクォークとレプトンが,
それぞれ6種類,存在します。
クォークのうち u と d は陽子・中性子を構成し原子核となり,さらに電子とともに原子を構成します。
レプトンとは電子の仲間とニュートリノの総称です。
さらに,これらの素粒子の質量の起源を担う,ヒッグス粒子があります。
これらの素粒子と,それらの間の相互作用は,素粒子の標準理論(Standard Model)という枠組みで記述されます。
現在まで,標準理論と明らかに矛盾する実験事実はありません。
力を伝える粒子のうち,光子やグルオンは質量を持ちませんが,Wボソンは,陽子のおよそ80倍の質量を持つことがわかっています。
より正確には,これまでの質量測定の世界平均値(複数の実験による測定の加重平均)が,MeV/c2 を単位として,80,392 80,379 +/- 12 MeV/c2 でした。
今回の測定は,単独で,+/- 9 MeV/c2 の精度を達成しました。相対的な精度は,およそ 1/104 = 0.01% です。
標準理論において,素粒子の質量はパラメータであり,その値そのものは予言されません。
それらは実験的に決定する必要があり,また,基本粒子の質量は物理学における重量な物理量であるので,
それを高精度で測定することは,意義があります。
今回のWボソンの質量の測定は,Wボソンの崩壊で生じる荷電レプトン(電子または μ 粒子)を精度よく測定し,また,
それと対をなして生成されるニュートリノを推定する必要があります。
いずれも単純ではない作業で,検出器の性能の理解や,得られたデータの再構成,
物理解析の過程において,
細心の注意を払いながら検証を重ねつつ,
今回の結果に到っています。
上で,素粒子の質量は理論的には定まらないと言いましたが,異なる粒子の質量の間には,何らかの関係(理論的な制限)が存在する場合があります。
例えば,トップ・クォーク(物質粒子のうち最大の質量を持つ粒子で,CDF実験により1994年に発見された)の
質量と,
Wボソンの質量は,
正の相関を持ち,ヒッグス粒子の質量とも関係しています。
この図は,縦軸がWボソンの質量,横軸がトップ・クォークの質量を表しています。
斜めの帯が,標準理論の予言する制限(両者の関係)です。
ヒッグス粒子の質量を変えると,帯は別の場所に来ます。
上の図は,2012年当時のもので,CDF実験による,その時の最新のWボソン質量の測定を反映したものです。
楕円の中心が実験で測定された値の中心値を表し,楕円は,測定の不定性の範囲を表します。
その後,ヒッグス粒子は実験的に観測され,その質量も現在では精密に測定されています(およそ 125 GeV/c2)。
その結果,帯の位置が定まり,その幅も「線」と呼べるくらいに細くなっています。
よって,Wボソンと質量と,トップ・クォークの質量を,非常に精密に測定すると,
楕円が小さくなり,理論(帯→線)との整合性を検証することが可能になります。
今回,CDF実験は,これまでの4倍の統計量のデータを用いてWボソンの質量を測定し,+/- 9.4 MeV/c2 の精度で決定しました。
その結果を報告した論文は,学術雑誌 Science に投稿され,2022年4月7日に出版されることになりました。
質量の中心値は,80,433.5 MeV/c2 です。
これまでの測定との比較が,論文の 図5 に載っています。
赤丸がそれぞれの測定の中心値を,水平の棒が測定の不定性の範囲(1標準偏差,68%)を表しています。
今回の測定では,これまでの測定と比較して,その精度が大きく向上しているのが見てとれます。
今回より前の測定の世界平均は,前述の通り,80,379 +/- 12 MeV/c2 です。
Particle Data Group のサイト の検索窓「Search」に W boson と入力してください。
rpp2020-list-w-boson.pdf のファイルに,以下の表が載っています。
+ 2022/4/16 追記 +++
2020年より後に発表された結果で,上の表および図に載っていないものがあります。
LHCb 実験による結果:2022年 - リンク -
- 2022/4/16 追記 ---
さて,理論予言との比較は,論文の 図1 に示されています。赤い楕円が,今回のWボソンの質量測定を反映したものです。
灰色の破線の楕円は,以前の結果です。
また,標準理論の予言(観測されたヒッグス粒子の質量を用いたもの)が,紫色の線です。
赤い楕円は,この線とは離れており,論文の abstract にある "tension" はこのことを指しています。
本論文に関する本学研究者:
受川史彦,武内勇司,原 和彦,佐藤構二,金 信弘
いずれも,数理物質系 宇宙史研究センター 素粒子構造研究部門, 物理学域
トップ・クォークは,宇宙を構成する基本粒子のひとつで,1994年にCDF実験グループによりその存在の証拠が示され,翌1995年に発見されました。
Fermilab のページ -
APS のページ
その後,CDF 実験は2011年までデータ収集を続け,トップ・クォークの詳細な性質を明らかにしました。
たとえば,その質量は重要な物理量であり,それを精密に測定して W ボソンの質量と組み合わせることで,ヒッグス粒子に対する制限を与え素粒子標準理論を検証することに成功しました。
Symmetry Magazine のページ -
PRL on the Cover